2020年 5月31日 ペンテコステ祝日礼拝式

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――― 2020年 5月31日 ペンテコステ祝日礼拝式 ――
─招き・悔い改め──                    
前  奏  (黙祷)                    
礼拝招詞  詩編34:2〜12
讃  詠  546                    
十  戒                          
主の祈り (564)                   
交読詩編  106  詩編第106編19〜27節
讃 美 歌   56                    
─神の言葉─────                    
聖書朗読 創世記19:12〜29(P.26)
     ルカによる福音書19:1〜10(P.146)
祈  祷                          
讃 美 歌  194                    
信仰告白  使徒信条(566)              
説  教 『あなたの家に泊まりたい』
祈  祷           
讃 美 歌  338
聖  餐  207 新型コロナウィルス感染拡大予防のために中止
─応答・祝福・派遣─                    
献  金  
頌  栄  539                    
祝  福                          
後  奏                  
報  告            

     2020年 5月31日 ペンテコステ祝日礼拝説教要旨
創世記19:12〜29、ルカによる福音書19:1〜10「あなたの家に泊まりたい」
1.
ルカによる福音書19:1〜10に記されているザアカイの物語、日曜学校の子どもたちも聴くことが好きな物語の一つです。19:1〜4「イエスはエリコに入り、町を通っておられた。そこにザアカイという人がいた。この人は徴税人の頭で、金持ちであった。イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低かったので、群衆に遮られて見ることができなかった。それで、イエスを見るために、走って先回りし、いちじく桑の木に登った。そこを通り過ぎようとしておられたからである。」、ザアカイ、という名前は、義しい人、という意味で、もともとザカリアという名前です。ザカリアと言えば、私たちが聴き続けてまいりましたルカによる福音書の冒頭に記されているクリスマスの出来事を想い起こします。主イエスの母マリアの親戚エリサベトとその夫ザカリアの間に与えられた子どもが最後の預言者ヨハネでした。ヨハネの父親の名前がザカリアでした。ザカリアは祭司をしておりました。エリコに住むザアカイはそのザカリアと同じ名前をもともと持っていました。ザアカイはひょっとしたらもともとは祭司の家系にあった人なのかも知れません。そのザアカイが今は徴税人をしていました。
 神の民イスラエルの人間、ユダヤの人間でありながら徴税人になる、ということはいったいどういうことを意味したのか。ザアカイ自身も他の徴税人と同じように定められた税金にさらに上乗せして私腹を肥やすということをしていたようです。しかし、それだけではありません。神の民イスラエルの人間、ユダヤの人間でありながら徴税人になる、ということは神の民イスラエル人、ユダヤ人としての誇りを捨てることを意味しました。だから、19:7「これを見た人たちは皆つぶやいた。『あの人は罪深い男のところに行って宿をとった。』」、ザアカイは罪深い男。確かにこの言葉は正しい。正しくないのは呟いた人々全員が罪人である、ということです。ザアカイだけではない、全ての群衆が罪人です。群衆もその罪人の一人なのであって、主イエスをお迎えしなければ、本当は自分たちも救われない。しかし、そのことに気が付いていない。
2.
 主イエスは無花果桑の木に登っているザアカイを視付けられ、19:5「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」、と語られました。主イエスはザアカイの名前を御存知でした。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい、と翻訳されている言葉は、今日、あなたの家に泊まらなければならない、という言葉です。19:6「ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。」、ザアカイは主イエスが語られた通り、急いで木から降りてきました。主イエスの招きに素直に応じ、喜んで主イエスを迎え入れました。
主イエスが未だ何も命じておられないのにもかかわらず、19:8「しかし、ザアカイは立ち上がって、主に言った。『主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。』」、全財産の半分を貧しい人々に施す、誰かから騙し取っていたら4倍にして返すことを約束しました。なぜ、ザアカイはこのようなことを申し出たのか。
 主イエスはザアカイに何かを命じられたわけではありません。ザアカイは、ただ、今日、私はあなたの家に泊まらなければならない、と語られた主イエスの言葉を聴いただけです。主イエスは罪人ザアカイの家に入って宿をとられた、と呟いた群衆の言葉を聴いただけです。その通り、自分は罪人だ。自分が罪を背負って生きてきたことを知った。自分は今まで私利私欲に生きていた。施すこともせず、献げることもしないで不正な取り立てをしてきた。その具体的な罪に気が付きました。しかし、主イエスによって赦されている喜びを知ったのです。
 だから、ザアカイは全財産の半分を貧しい人々に施す、不正な取り立てをした人々に4倍にして返すことを約束しました。主イエスに招かれている喜びを本当に知ったから、赦されて生かされている喜びを知ったから、赦されている大きさを知ったからです。喜んで施し、献げ、返そうと決心しました。
 私たちも献げます。施します。お金を献げ、自分の時間を献げます。与えられた賜物、お金、時間、能力、体力などを教会のために、人々のために用います。それは誰かから強いられてではありません。主イエスに訪ねていただいた喜びを知ったから、赦されている大きさを知ったから、主イエスに救っていただいた感謝からです。
 ルカによる福音書は、18:18〜30、金持ちの議員の物語を書きました。主イエスは金持ちの議員に対して、全財産を売り払って貧しい人々に施すことを求められました。金持ちの議員は不正を重ねて財産を築き上げたわけではありません。真面目に一生懸命はたらきました。それにもかかわらず、主イエスは全財産を売り払って貧しい人々に施すことを求められました。
 しかし、主イエスはザアカイに何も命じておられません。同じように経済的に豊かだった二人にどうしてこのような違いが生じたのか。金持ちの議員は自分の財産を主イエスの招きよりも重んじてしまいました。しかし、ザアカイは、自分が、19:10「失われたもの」であることに気付きました。では、いったい誰から失われていたのでしょうか。
 神から失われていました、主イエス・キリストから失われていました。神の民として本来あるべきところにいませんでした。神とともに生きることをしていませんでした、主イエス・キリストとともに生きることをしていませんでした。聖書の言葉に基づいて生活することを止めていました。決して他人事ではありません。
 ルカによる福音書は既に15:1〜32において、いなくなった1匹を捜し求める羊飼いの物語、どこかへいってしまった銀貨1枚を捜し求める女性の物語、そして、二人の放蕩息子を待ち続ける父親の物語を記しました。このザアカイの物語も同じです。神は御自分のところからいなくなった羊1匹を、銀貨1枚を、息子を、そして、ザアカイを捜し求め続けておられるのです。
 今日、私はあなたの家に泊まらなければならない、泊まる、と翻訳されている言葉は、ただ単に一泊宿泊する、二泊宿泊する、という意味ではありません。ずぅーと留まり続けてくださる、という意味です。主イエスがザアカイの人生にこれからずぅーと留まり続けてくださる。ということから言うと、ザアカイは私たち信仰に生かされている者、教会に繋がって生かされている者の先輩です。主イエスはザアカイだけではなく、私たちとともにずぅーといてくださる。
 最後に、主イエスはザアカイに仰いました。19:9「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。」、ザアカイだけではない。ザアカイの家族全員に救いが与えられた。
 家族の中で自分一人で礼拝に集わざるを得ない人たちがいます。むしろ、多いかも知れません。私たちは信仰を未だ与えられていない家族のことが気掛かりです。主イエスは私たちに宣言してくださいました。今日、救いがこの家を訪れた。今日、私はあなたの家に泊まらなければならない。