2020年 6月28日 主日礼拝式

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―――――― 2020年 6月28日 主日礼拝式 ―――――
前  奏  (黙祷)                    
礼拝招詞  詩編66:1〜5           
讃 美 歌  195(歌詞を黙読)                     
聖書朗読 エレミヤ書7:8〜15(P.1188)
     ルカによる福音書19:45〜48(P.148)
祈  祷                                      
説  教  『教会は祈りの家』
祈  祷       
讃 美 歌  313(歌詞を黙読)                   
献  金
祝  福
後  奏



       2020年 6月28日 主日礼拝説教要旨
    エレミヤ書7:8〜15、ルカによる福音書19:45〜48

                                       「教会は祈りの家」

1.
 私たちの教会では新約聖書ルカによる福音書に私たちの救い主主イエス・キリストの御生涯を聴いてまいりまして、遂に19:45に入りました。19:45から主イエスの十字架の死に至る最後の一週間、受難週、と呼ばれる日々の出来事が始まります。正確に言えば、既に19:28から主イエスの十字架の死に至る最後の一週間の出来事が始まっておりましたから、19:45からは、神の民イスラエル、ユダヤの都エルサレムにおける最後の一週間が始まりました。主イエスはエルサレムに入られるとそのまま真っ直ぐに神殿に行かれました。19:45〜46「それから、イエスは神殿の境内に入り、そこで商売をしていた人々を追い出し始めて、彼らに言われた。『こう書いてある。「わたしの家は、祈りの家でなければならない。」ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にした。』」、後に、宮聖め、と呼ばれるようになることをなさいました。神殿を聖められ、商売人たちを追い出されました。主イエスは明らかに怒っておられます。

 神殿を聖められた出来事をルカによる福音書、マタイによる福音書、マルコによる福音書は主イエスの地上での御生涯の最後の出来事として記録しています。しかし、ヨハネによる福音書は第2章に、主イエスの仕事始めとして神殿を聖められた出来事を記録しています。主イエスは二度エルサレム神殿の聖めをなさったことになります。伝道の最初と最後に神殿の聖めをなさったということにたいへん大きな意味があります。神殿は神を拝むところ、神に祈りを献げるところです。私たちにとって教会、礼拝、祈りです。その祈りを献げ、礼拝を献げる教会堂、神殿を主イエスは聖められました。礼拝に相応しく整えられました。神を拝む、ということはいったいどういうことなのか、神に祈りを献げる、ということはいったいどういうことなのか、ということを教えてくださいました。伝道の最初と最後に教えてくださいました。それだけに、主イエスが重んじておられたのが神殿であり、礼拝である、祈りである、ということがよく分かります。

2.
 主イエスは家畜を売り買いしている人々、両替人を追い払われるたいへん乱暴なことをなさいました。なぜか。

 神殿の庭で商売をしていた人々がいたからです。牛、羊、鳩を売ったり、両替をする商売は神殿へ詣でに来た人々のための特別な商売でした。当時、イスラエル、ユダヤはローマ帝国に支配されていました。日常の生活においてものの売り買いの時に用いるお金はローマ帝国のお金でした。ローマ皇帝は神の子、と刻印された貨幣を用いざるを得ませんでした。そのようなお金を神殿に献げるわけにはいきません。それで、神殿に献金を献げる時にはローマ帝国のお金をイスラエル、ユダヤのお金に両替する必要がありました。

 牛、羊、鳩を売る者。神殿において礼拝を献げる人々は自分の罪の身代わりの犠牲の動
物を献げました。犠牲の動物を献げる、それが神殿における礼拝、神を拝むことでした。犠牲の動物を献げることが旧約聖書における礼拝でした。犠牲の動物、たとえば、牛、羊、鳩を献げて、「この動物が自分の罪の身代わりになって死んでくれますから、罪をお赦しください」、このように祈って礼拝を献げました。

 主イエスがエルサレムに入られた時はユダヤ三大祭の一つ過越祭が始まろうとしていた時でしたから、沢山の人々が集まっていました。そのような中で主イエスは羊、牛、鳩を追い出され、両替人のお金を散らされ、商売の道具をひっくりかえされ、縄で鞭を作って追い出され、人々を厳しく戒められました。なぜか。

3.
 19:46「彼らに言われた。『こう書いてある。「わたしの家は、祈りの家でなければならない。」ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にした。』」、祈りの家である神殿が強盗の巣になってしまった、商売の家になってしまった、と嘆いておられます。ただ、神殿の庭において、まるで強盗のように法外な手数料を取って両替をし、法外な値段で羊、牛、鳩を売買していることがけしからん、というわけではありません。商売人や両替人が神殿に詣でる人々からお金を巻き上げていたのではありません。

 では、誰が強盗のような商売をしていたのか。神殿に詣でる人々です。商売人や両替人、神殿に詣でる人々が神と商売していた。強盗のような心で。まるで神と取り引きしているかのように祈りが献げられ、礼拝が献げられていた。旧約聖書に記されている定めに従って犠牲の動物を献げ、規定通りの献金を献げ、それで、神からの救いを得た、と安心して思い込んでしまう。犠牲の動物を献げることによって買える安心、お金を献げて神からの救いの保証を取り付けた、と安心して思い込んでしまう。そのためには何日もかけて巡礼の旅をし、いくらでもお金を積む。その姿勢が、その心と体が強盗に似ている。主イエス・キリストが与えてくださろうとしておられた神との平和を求めず、ローマ帝国による支配からの解放という平和を求める人々の心と体が強盗に似ていました。これが主イエスの涙、悲しみと結びついた怒りでした。

4.
 主イエスがエルサレムに入られ、神殿を聖められた時はユダヤ三大祝日のうちの一つ過越祭の時でした。過越祭が始まる時、小羊が屠られました。しかも、神殿の境内において屠りました。主イエスは、今、その神殿を聖められ、羊、牛、鳩を追い払われた。ヨハネによる福音書は主イエスとはいったい誰かということをこう語っています。ヨハネによる福音書1:29「世の罪を取り除く神の小羊」、1:36「神の小羊」、最後の預言者ヨハネが語った言葉です。主イエスは神の小羊、世の罪を取り除いてくだる神の小羊である。神の審きを過ぎ越させる小羊のように、主イエスが十字架に赴かれることによって、私たちに臨むべき筈であった罪の裁きを身代わりに背負ってくださり、神の審きを過ぎ越させてくださいました。主イエスは御自分が過越の羊、神の審きを過ぎ越させる羊になることを、羊、牛、鳩を追い払われることによって明らかにしてくださったのです。もう小羊は要らない、もう小羊を屠る必要はない。小羊の血ではなく、主イエスの十字架の血潮によって、私たちは聖められて生きることができるようになりました。神の家、教会に繋がりながら神とともに生きることができるようになったのです。


―――――― 2020年 7月 5日 主日礼拝式 ―――――
前  奏 (黙祷)                    
礼拝招詞 詩編34:2〜12 
讃 美 歌 187(歌詞を黙読)            
聖書朗読 民数記12:2〜13(P.233)
     ルカによる福音書20:1〜8(P.148)
祈  祷                          
説  教 『私たちの人生の土台』馬場康夫牧師 
祈  祷              
讃 美 歌 288(歌詞を黙読)
献  金
祝  福
後  奏