2020年 8月23日 主日礼拝式

http://www.odj-ch.net/2020/200823_001_Sermon__02.mp3

―――――― 2020年 8月23日 主日礼拝式 ―――――
前  奏  (黙祷)                    
礼拝招詞  詩編95:1〜9
讃 美 歌  171(歌詞を黙読) 
聖書朗読  列王記上8:27〜30(P.542)
      ルカによる福音書21:5〜11(P.151)
祈  祷                          
説  教 『終末への備え』馬場康夫牧師
祈  祷        
讃 美 歌  298(歌詞を黙読)
執事任職式
日曜学校教師就任式
献  金  
祝  福
後  奏
聖書:イエスは言われた。「惑わされないように気をつけなさい。
   わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがそれだ』とか、
   『時が近づいた』とか言うが、ついて行ってはならない。
           ルカによる福音書21:8      



2020年 8月23日 主日礼拝説教要旨
列王記上8:27〜30、ルカによる福音書21:5〜11「終末への備え」
1.
 終活、最近では、自分自身の終末、死に備える、ということが当然のように語られるようになりました。一昔前までは、自分の死に備える、両親の死に備える、などというようなことは縁起が悪いこととして避けられてきました。いったい自分自身の終末、死に際してどのようなことが起こるのでしょうか。この世の終末にはいったいどのようなことが起こるのでしょうか。この世が終わる時がほんとうに来るのでしょうか。私たちは自分の人生がやがて終わる、この地上での人生がいつの日にか終わる、死ぬということを知っています。しかし、この世が終わるということについて、いったいどこまで本気にしているでしょうか。いつの間にかそのようなことは遠い遠い将来のことであって、自分が生かされている時にこの世が終わる筈がない、と思い込んでしまっているのかも知れません。勿論、私たち自身が生かされている時にこの世が終わるかどうか、私たちには分かりません。私たち自身の地上での死が先に来るのか、この世の終わりが先に来るのか、私たちには分かりません。

 しかし、自分の地上での人生が終わり、また、この世も終わる。終末、と呼ばれる出来事が自分自身の人生にも将来必ずあり、この世もまた将来必ず終わる。それだけは確実であると聖書は語っています。終末信仰、と呼ばれる信仰の失うことができない一つの筋道です。終末信仰が崩れると、私たちの日常の信仰の生活は乱れます。終末信仰が好い加減なものになると、礼拝の生活が乱れ、倫理が乱れます。

 私たちはこの説教の直前でいつものように使徒信条によって教会の信仰を告白したばかりです。「かしこより来たりて、生ける者と死ねる者とを審きたまわん。」、私たちの救い主主イエス・キリストがかしこ、今おられる天から再び来てくださって、その時、生きている人々ももう既に死んでしまった人々も審きを受ける。教会の信仰です。私たちに与えられている信仰です。使徒信条の中で終末信仰を言い表している部分です。終末、この世がどのようにして終わるのか。主イエスが再び来てくださって、所謂最後の審判を執り行われてこの世が終わる。私たちもこう信じています。

2.
 主イエスはこの世の終わりの秘密を明らかにしてくださいました。ルカによる福音書21:8〜11「イエスは言われた。『惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れ、「わたしがそれだ」とか、「時が近づいた」とか言うが、ついて行ってはならない。戦争とか暴動のことを聞いても、おびえてはならない。こういうことがまず起こるに決まっているが、世の終わりはすぐには来ないからである。』そして更に、言われた。『民は民に、国は国に敵対して立ち上がる。そして、大きな地震があり、方々に飢饉や疫病が起こり、恐ろしい現象や著しい徴が天に現れる。』」、惑わされないように気を付けなさい。多くの人々がキリストの名を名乗って現れる。自分こそ救い主キリスト、と主張しながら登場して来る。もう終わりの日が来た、と言う。戦争があちらこちらで起こる、という噂を聴くに違いない。実際に、国と国、民族と民族が対立し、憎しみ合い、争い合い、戦争が起こる。さまざまなところで地震や飢饉が起こる。天変地異、自然災害が起こる。得体の知れない疫病、伝染病。しかし、慌てるな。恐れるな。そういう偽預言者たちについて行くな。確かに、これが世の終わりが近づいたしるし。しかし、未だ終わりではない。だから、慌てるな、偽キリストについて行くな、と主イエスはこの世の終わりの前兆を教えてくださいました。

 戦争と暴動。20世紀、世界は大きな戦争を2度も経験いたしました。21世紀に入り今もなお世界中の至る所で戦いがあります、戦争があります、テロがあります。主イエスが予告なさった通りに、国と国、民族と民族が対立し、憎しみ合い、争い合っています。さまざまなところで地震や飢饉が起こっています。天変地異、自然災害が続いています。今、まさに世界は得体の知れない疫病、伝染病、感染症との闘いを強いられています。厄介なことに、自分が救世主、救い主キリスト、と名乗る偽キリストが次々と登場しています。少なくない人々が惑わされ、右往左往しています。そういうことから言うと、既にこの世の終わりの前兆が始まっている、とも言えます。遅かれ早かれこの世の終わりが来ます。

3.
 そこで、21:33「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」、主イエス・キリストがお語りになったことは滅びない、事実。天地万物が滅びる時がくる、この世の終わりは確かにくる。しかし、このように語られた主イエスの言葉は滅びない、嘘偽りがない事実。

 だから、21:36「しかし、あなたがたは、起ころうとしているこれらすべてのことから逃れて、人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈りなさい。」、人の子、即ち、主イエスの前に立つことができるようにいつも眼を覚まして祈っていなさい、と主イエスは語られました。これこそ終末への備えです。

いつも眼を覚まして祈っていること。礼拝と祈りです。信仰生活です。信仰を与えられて生きていることです。礼拝と祈り、信仰こそ、主イエスの再臨への、終末への唯一の備えです。

 私たちは主イエスの再臨をびくびくしながら待つのではありません。喜んで待っています。終末を恐怖におののきながら待つ必要はありません。私たちが終末の時、受けるべき筈であった審きを、主イエスが十字架によって身代わりに背負ってくださった、ということを信じているからです。ですから、私たちは既に主イエスによって終末の審き、最後の審判から救われています。だから、私たちは安心して終末を待つことができます。だから、偽キリストに惑わされることもありませんし、慌てる必要もありません。

 私たちにとって、終末、この世の終わりは決定的な滅びなのではありません。救いの完成の時です。私たちにとって、この地上での生の終わり、死もまた滅びではありません、終わりではありません。年を重ね、思うように体が動かなくなり、もの忘れがひどくなり、肉体の衰えを感じ、さびしくなることがあるかと思います。しかし、私たちにとって、死は滅びではありません、終わりではありません。エルサレムの神殿が崩れても、この世の終わりがきても、神の救いが崩れることはありません。私たちは心も体も主イエス・キリストのもの、神のものだからです。神とともにいきる永遠のいのちを戴いて生かされています。

―――――― 2020年 8月30日 主日礼拝式予告 ―――――
前  奏  (黙祷)                    
礼拝招詞  詩編95:1〜9
讃 美 歌  170(歌詞を黙読) 
聖書朗読  詩編74:9〜23(P.909) 
      ルカによる福音書21:7〜19(P.151)
祈  祷                          
説  教 『忍耐によるいのち』馬場康夫牧師
祈  祷        
讃 美 歌  385(歌詞を黙読)
献  金  
祝  福
後  奏 
聖書:しかし、あなたがたの髪の毛の一本も決してなくならない。
   忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい。
           ルカによる福音書21:18〜19