2020年 9月 5日 主日礼拝式

http://www.odj-ch.net/2020/200905_001_Sermon_.mp3

―――――― 2020年 9月 6日 主日礼拝式 ―――――
前 奏 (黙祷)
礼拝招詞 詩編34:2〜12
讃 美 歌 172(歌詞を黙読)
十 戒
主の祈り
聖書朗読 ダニエル書9:20〜27(P.1396)
ルカによる福音書21:20〜28(P.152)
祈 祷
信仰告白 使徒信条
説 教 『歩き始める』馬場康夫牧師
祈 祷
讃 美 歌 260(下)
献 金
祝 福
後 奏
聖書:このようなことが起こり始めたら、身を起こして頭を上げな
   さい。あなたがたの解放の時が近いからだ。
           ルカによる福音書21:28 

2020年 9月 6日 主日礼拝説教要旨
ダニエル書9:20〜27、ルカによる福音書21:20〜28「歩き始める」

1.
 江戸時代、日本の教会は徹底的に潰されました。徳川幕府はキリシタンたちの信仰を捨てさせました。特に私がかつて住んでおりました長崎の教会にはとても厳しい大迫害が加えられました。今でも長崎市はローマ・カトリック教会の勢いがたいへん強い土地です。日本の国民の1パーセントがキリスト者ですが、長崎市は市民の8パーセントがローマ・カトリック教会の信者です。沢山のローマ・カトリック教会の信者が住んでいます。しかも、もう15代、16代も続いた信者がいます。プロテスタント教会は長くても未だ5代、6代です。しかし、ローマ・カトリック教会には15代、16代も続いた信者の家庭があります。全員潜伏キリシタンたちの末裔です。信仰を守るために隠れて逃げました。遠く五島列島まで逃げて、信仰を隠して守りました。

 宣教師もいません、神父もいません。その中でいったいどのようにして信仰を代々に伝えたのか。洗礼と祈り、そして信条・信仰告白でした。祈りを教え、信条、ニカイア信条と呼ばれる信条を代々に伝え、そして、洗礼を授けました。

 以前にもお話ししたことがありますが、潜伏キリシタンの子孫にこういう話しを聴いたことがあります。「自分たちの先祖が隠れて逃げて信仰を守り通してくれたから、今、自分にも信仰が与えられている。そのことは恵み。しかし、踏み絵を踏んで隠れた逃げた。そのことに後ろめたさを感じる。殉教した人々もいるけれども、自分たちの先祖は殉教しなかった。だから、自分という存在、しかもキリスト者としての自分という存在がある。」。こういう言葉です。隠れたこと、逃げたことは潔くない。沢山の人々が信仰を捨てないで殉教した。しかし、自分の祖先は転んだ、隠れた、逃げた、生き延びた。でも、そのおかげで自分は生まれ、しかも、自分に信仰が与えられた。複雑な心境を語った重い言葉です。

2.
 しかし、私たちの救い主 主イエス・キリストははっきりと語ってくださいました。ルカによる福音書21:21「そのとき、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。都の中にいる人々は、そこから立ち退きなさい。田舎にいる人々は都に入ってはならない。」、逃げたらよい。何も頑張る必要はない。逃げたらよい。なぜか。

 ルカによる福音書21:5〜38は主イエスがこの世の終わりについて語ってくださった言葉を記録しています。この世の終わりには、戦争、地震、飢饉が起り、自然災害、天変地異が襲う、いろいろな恐ろしいことが起る、偽預言者たち、偽キリストが出現して惑わす、大きな迫害が起こる。その時、堂々と闘うだけではなく、むしろ、逃げたらよい、と主イエスは語られました。

 しかし、逃げる時に気をつけることがある。21:8b〜9「惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがそれだ』とか、『時が近づいた』とか言うが、ついて行ってはならない。戦争とか暴動のことを聞いても、おびえてはならない。こういうことがまず起こるに決まっているが、世の終わりはすぐには来ないからである。」、多くの人々が、自分こそ救い主である、キリストである、と名乗って現れる。もう終わりの日が近付いた、と語る。戦争と暴動が起こる、と予言めいたことを語る輩も登場する。しかし、怯える必要は無い、慌てる必要は無い。そのような偽キリストに付いて行くな。確かに、偽キリストが現れ、戦争や暴動が起こる、と語る人々が現れる。これが世の終わりが近づいたしるし。しかし、未だ終わりではない。このように主イエスは語られました。

3.
 逃げて行った人々は何をしたのか。使徒言行録8:4「さて、散って行った人々は、福音を告げ知らせながら巡り歩いた。」、ただ、逃げて隠れた、というのではありません。信仰に生きる人々が逃げて行ったおかげで、福音が全世界に広がりました。

 エルサレムに誕生したばかりの教会に大迫害が襲った時、教会に生きる人々は逃げました。その結果、信仰が守られ、信仰が受け継がれてきました。教会が、信仰が、福音が都エルサレムから全世界に広がりました。江戸時代、キリシタンたちが逃げて、隠れて信仰を守ったから、その子孫に信仰が伝えられました。逃げることは決して恥ずかしいことではありません。勿論、時には堂々と闘わざるを得ないこともあるかも知れません。しかし、逃げて、守り、受け継ぐ、ということもあります。大切なことは、信仰を捨てない、ということです。教会に繋がり続けながら信仰を守る、ということです。逃げて、耐え忍ぶ、ということです。

主イエスはこう語られました。21:19「忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい。」、どんなに厳しい状況にあったとしても、苦しみ、悩み、嘆き、悲しみ、痛み、さびしさを抱えていたとしても、忍耐して欲しい、と主イエスは語られました。いや、忍耐できる、と語られました。なぜ忍耐できるのか。21:18「しかし、あなたがたの髪の毛の一本も決してなくならない。」、あなたたちは髪の毛一本にいたるまでも神のものになっているからです。だから、耐え忍び、忍耐して、信仰を守り抜いてほしい、いや、忍耐できる、信仰を守り抜くことができる、と主イエスは語られました。

4.
 しかも、21:28「このようなことが起こり始めたら、身を起こして頭を上げなさい。あなたがたの解放の時が近いからだ。」、と語られました。主イエスがここで約束してくださったことは審きではなく、滅びではなく、救いです、忍耐する時間が永遠に続くわけではありません。

 21:27「そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。」、主イエス・キリストが大いなる力と栄光とを帯びられ、天の雲に乗られ、再び来てくださることを、視ることができる、と約束してくださいました。主イエスが大いなる力と栄光とを帯びられ、天の雲に乗られ、再び来てくださる、ということは、誰の眼にも、救い主である、ということが明らかな御姿である、ということです。忍耐するのはその時まで。終末、この世が終わる時、主イエスが再び来てくださいます。忍耐するのはその時まで。その時、救いが完成します。と同時に、私たちは礼拝のたびごとに、主イエスにお眼に掛かっています。礼拝のたびごとに、忍耐という重荷を下ろして、再び頭を上げて歩き始めることができるのです。


―――――― 2020年 9月13日 主日礼拝式 ―――――
前  奏  (黙祷)                    
礼拝招詞  詩編98:1〜9
讃 美 歌  162(歌詞を黙読) 
十  戒  (小声で)
主の祈り  (小声で)
聖書朗読  詩編95:6〜11(P.934)
      ルカによる福音書21:29〜38(P.152)
祈  祷                          
信仰告白  使徒信条(小声で)
説  教 『逃げることができる』馬場康夫牧師
祈  祷        
讃 美 歌  224(歌詞を黙読)
献  金  
祝  福
後  奏   
聖書:天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。
        ルカによる福音書21:33