2020年 9月13日 主日礼拝式

http://www.odj-ch.net/2020/200912_001_Sermon_.mp3

―――――― 2020年 9月13日 主日礼拝式 ―――――
前  奏  (黙祷)                    
礼拝招詞  詩編98:1〜9
讃 美 歌  162(歌詞を黙読) 
十  戒  (小声で)
主の祈り  (小声で)
聖書朗読  詩編95:6〜11(P.934)
      ルカによる福音書21:29〜38(P.152)
祈  祷                          
信仰告白  使徒信条(小声で)
説  教 『逃げることができる』馬場康夫牧師
祈  祷        
讃 美 歌  224(歌詞を黙読)
献  金  
祝  福
後  奏
聖書:天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。
        ルカによる福音書21:33

2020年 9月13日 主日礼拝説教要旨
詩編95:6〜11、ルカによる福音書21:29〜38「逃げることができる」

1.
 私たちが聴いておりますルカによる福音書21:29〜38に記されている言葉を含む21:5〜38は、私たちの救い主主イエス・キリストが、天地が滅びる、この世の終わりについて語ってくださった言葉を記録しています。この世の終わりには戦争、地震、飢饉、疫病が起り、自然災害、天変地異が襲い、いろいろな恐ろしいことが起り、偽預言者たち、偽キリストが出現して惑わし、教会に対する大きな迫害が起こり、天地が滅びる。主イエスが天から再び来られて審きをなさる。教会はこのような主イエスが再び来られる、天地が滅びる、最後の審判が執り行われる、などという愚かなことを語っているのか、という批判があるかも知れません。しかし、21:33「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」、主イエスが語ってくださった言葉は決して滅びない。たとえ天地が滅びても、天地が滅びる、と語ってくださった主イエスの言葉が滅びてしまうことはありません。

2.
 その時、どうしたらよいか。21:36「しかし、あなたがたは、起ころうとしているこれらすべてのことから逃れて、人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈りなさい。」、堂々と闘うのではなくて、逃げたらよい。21:21「そのとき、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。都の中にいる人々は、そこから立ち退きなさい。田舎にいる人々は都に入ってはならない。」、逃げたらよい。何も頑張る必要はない。逃げたらよい。逃げる時には、ユダヤにいる人々は山の中へ逃げたらよい、都エルサレムにいる人々は都に留まるのではなくて、逃げたらよい、田舎にいる人々はわざわざ都エルサレムに入る必要は無い。

 山の中とは何処か。何処に逃げるのか。21:36「しかし、あなたがたは、起ころうとしているこれらすべてのことから逃れて、人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈りなさい。」、逃げて、人の子の前に立つ。人の子の前に逃げる、人の子、主イエスの前に逃げる。

 主イエスは何処におられるのか。山の中。主イエスは山の中におられるから、山の中に逃げたらよい、山の中におられる主イエスのもとに逃げたらよい。21:37〜38「それからイエスは、日中は神殿の境内で教え、夜は出て行って『オリーブ畑』と呼ばれる山で過ごされた。民衆は皆、話を聞こうとして、神殿の境内にいるイエスのもとに朝早くから集まって来た。」、主イエスは昼間はエルサレムの神殿において言葉を語り続けられました。夜はオリーブ畑と呼ばれる山の中で過ごされました。何をなさりにオリーブ畑と呼ばれる山の中に行かれたのかというと、祈るためです。このオリーブ畑と呼ばれる山の中には主イエスがいつもの祈りの場所としておられたゲツセマネの園がありました。主イエスは礼拝を欠かすことなく言葉を語り続けられ、祈り続けられました。
 
 21:36「しかし、あなたがたは、起ころうとしているこれらすべてのことから逃れて、人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈りなさい。」、人の子、この世の終わりの日に再び来られる主イエスの前に私たちが立つ。何のために立つのか。コリントの信徒への手紙二5:10「なぜなら、わたしたちは皆、キリストの裁きの座の前に立ち、善であれ悪であれ、めいめい体を住みかとしていたときに行ったことに応じて、報いを受けねばならないからです。」、神の報復の日、神の怒りが降る時、私たちは主イエスの審きの座の前に立たされます。

 審きを受ける、などと言われると怖くなってしまいます。しかし、私たちは主イエスによる審きをびくびくしながら待っているのではありません。喜んで待っています。この世の終わりを恐怖におののきながら待つ必要はありません。私たちは既に主イエスの十字架の死と復活によって、光の子とされ、神の報復の日、神の怒りの時から救われ、終末の審きから救われているからです。

 だから、眼を覚まして祈りを献げ続けます、礼拝を献げ続けます。滅びることのない主イエスが語ってくださった言葉が語られ、聴かれる礼拝を献げ続けます。眼を覚まして祈りを献げ続けます。山の中に主イエスがおられる、ということは礼拝において主イエスがいてくださる、ということです。眼を覚ましておく、ということは、勿論、眠らない、寝てはいけない、などというようなことではありません。主イエスに対して眼を覚ましておく、しっかりと眼を開いて、視つめておくことです。

3.
 主イエスは最後の晩餐を弟子たちとともに摂られた直後、オリーブ畑と呼ばれる山の中に赴かれゲツセマネ園において祈りを献げられました。22:45〜46「イエスが祈り終わって立ち上がり、弟子たちのところに戻って御覧になると、彼らは悲しみの果てに眠り込んでいた。イエスは言われた。『なぜ眠っているのか。誘惑に陥らぬよう、起きて祈っていなさい。』」、弟子たちは眠り込んでいました。主イエスは眠り込む弟子たちのために祈りを献げられ、十字架に架かってくださいました。主イエスは眠り込む私たちのために、しかし、祈りを献げられ、私たちに代わって十字架によって神の怒り、神の審きを引き受けてくださいました。この言葉を信じる者は審きを受けることがありません。この言葉を心も耳も眼も鈍くすることなく真っ直ぐに信じる者は、神の怒りが降ることはありません、神の審きを受けることがありません。

 確かに、私たちはいろいろなことに思い煩うことがあります。疲れて信仰生活に眠り込むこともあります。教会生活に冬眠してしまうことがあるかも知れません。しかし、そこでこそ、このように主イエスが繰り返し繰り返しこの世の終わりについて語られたことを、私たちは改めて真剣に受け止めることが求められています。

 天地が滅びても、私たち自身がこの地上での生を終えても、主イエスの救いの約束の言葉は滅びることはありません。神の救いの約束が滅びることはありません。私たちは心も体も光の子、主イエス・キリストのもの、神のものだからです。

―――――― 2020年 9月20日 主日礼拝式予告 ―――――
前  奏  (黙祷)                    
礼拝招詞  詩編100:1〜5
讃 美 歌  137(歌詞を黙読) 
十  戒  (小声で)
主の祈り  (小声で)
聖書朗読  出エジプト記12:1〜20(P.111)
      ルカによる福音書22:1〜2(P.153)
祈  祷                          
信仰告白  使徒信条(小声で)
説  教 『思い掛けない救い』馬場康夫牧師
祈  祷        
讃 美 歌  257(歌詞を黙読)
献  金  
祝  福
後  奏  
聖書:祭司長たちや律法学者たちは、イエスを殺すにはどうしたら
よいかと考えていた。彼らは民衆を恐れていたのである。
          ルカによる福音書22:2