2020年10月 4日 主日礼拝式

http://www.odj-ch.net/2020/201004_001_Sermon_.mp3


―――――― 2020年10月 4日 主日礼拝式 ―――――
前  奏  (黙祷)                    
礼拝招詞  詩編34:2〜12
讃 美 歌  143(歌詞を黙読) 
十  戒  (小声で)
主の祈り  (小声で)
聖書朗読  民数記9:1〜14(P.227)
      ルカによる福音書22:7〜15(P.153)
祈  祷                          
信仰告白  使徒信条(小声で)
説  教 『最後の晩餐』馬場康夫牧師
祈  祷        
讃 美 歌  332(歌詞を黙読)
献  金  
祝  福
後  奏
聖書:イエスは言われた。「苦しみを受ける前に、あなたがたと共
   にこの過越の食事をしたいと、わたしは切に願っていた。
       ルカによる福音書22:15




       2020年10月4日 主日礼拝説教要旨
   民数記9:1〜14、ルカによる福音書22:7〜15「最後の晩餐」

1.
 ルカによる福音書22:7〜15に記されている出来事は、私たちの救い主主イエス・キリストと十二人の弟子たちとの最後の晩餐となった食事の場面です。主イエスはこの食事を十二人の弟子たちとともに摂られて、遂に十字架に磔られてしまわれます。しかも、この食事は22:13「過越の食事」でした。主イエスは十二人の弟子たちと過越の食事を最後の晩餐として摂られました。これにはとても大きな意味があります。たまたま最後の食事が過越の食事に重なったのではありませんでした。

 22:15「イエスは言われた。『苦しみを受ける前に、あなたがたと共にこの過越の食事をしたいと、わたしは切に願っていた。』」、主イエスは是非ともあなたたち十二人の弟子たちとともに過越の食事をしたい、と切に願っていた、と仰っておられます。切に願っていた、と翻訳されている言葉は、熱望している、切望している、という意味をもった言葉が用いられています。抑えることができない、どうしてもしたい、と思うことです。主イエスはどうしても十二人の弟子たちと一緒に食事を摂りたい、いや、一緒に過越の食事を摂らなければならない、と切に願っておられました。なぜか。

 22:7〜8「過越の小羊を屠るべき除酵祭の日が来た。イエスはペトロとヨハネとを使いに出そうとして、『行って過越の食事ができるように準備しなさい』と言われた。」、過越の食事というのは過越祭とも呼ばれました。この過越祭と同時に始まるのが除酵祭でした。過越祭と除酵祭、この二つの祭については旧約聖書出エジプト記12:1〜28が詳しく伝えています。過越祭は神の民イスラエルの人々がエジプトの奴隷生活から救い出されてエジプトを出て行く夜、神の御命令によって神の民イスラエルの人々が守った祭です。神は神の民イスラエルの人々に、小羊を屠ってその血を家の玄関の柱と鴨居に塗っておくように命じられました。夜、神の使いがやって来て、その小羊の血が塗ってある家を過ぎ越して、小羊の血を塗っていないエジプトの家をお審きになられました。その混乱に乗じて、神の民イスラエルの人々はエジプトを脱出することができました。出エジプトを記念して守る祭が過越の祭りです。ユダヤ三大祭の一つです。

 除酵祭というのは過越祭と同時に始まって一週間続いた祭です。過越祭と同じように出エジプトを記念する祭です。除酵祭、酵母菌を除いた祭、種を入れないパンの祭、とも言われます。酵母菌を入れないパンを焼いて食べる食事です。神の民イスラエルの人々は大急ぎでエジプトを脱出して行かなければなりませんでしたから、パンを発酵させている暇がない。そこで、酵母を除いたパンと過越の小羊を焼いて食べ、辛いエジプトでの生活を覚えるために苦い菜っ葉を添えて食べました。これが過越の食事でした。
 過越祭にしても除酵祭にしても出エジプトを記念する祭です。神を礼拝する時でした。神が自分たちの先祖をエジプトの滅びから救い出してくださったことを憶え、神に感謝する礼拝でした。自分たち神の民イスラエルが確かに神によって守られ、導かれていることを憶え、神に感謝して礼拝を献げました。

2.
 なぜ主イエスは十二人の弟子たちと一緒にどうしても過越の食事を摂りたい、と願われのでしょうか。主イエスが御自分の十字架の死と過越の小羊とを重ねあわせて御覧になっておられたからです。ヨハネによる福音書がその冒頭において最後の預言者、洗礼者ヨハネの言葉を書き記しました。ヨハネによる福音書1:29「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」、1:36「見よ、神の小羊だ」、主イエス・キリストは神の小羊、世の罪、私たちの罪を取り除いてくださる神の小羊である。いったいなぜ主イエス・キリストは神の小羊なのか。

 最後の預言者ヨハネ、洗礼者ヨハネは主イエスの母マリアの親戚エリサベトの夫で、祭司のザカリヤの子どもでした。ヨハネは祭司の息子として神殿での礼拝や儀式をよく知っていたに違いありません。過越祭はじめ、神殿では、毎日毎日、人々の罪のために犠牲の小羊が献げられていました。ヨハネは主イエスをその小羊と視たのです。主イエスこそほんとうに人々を罪から救うことができる犠牲の小羊である。

 ヨハネは過越祭の小羊を思い起こして、神殿で毎日献げられる小羊を思い起こして、主イエスを神の小羊、世の罪、私たちの罪を取り除く神の小羊、と呼びました。かつてエジプトにいるイスラエルの人々を神の審き、死から救い出したのは過越の小羊の血でした。同じように、主イエスこそが十字架によって私たち人間の罪に対する神の審きから救ってくださる御方である、とヨハネは指し示しました。主イエスはかつてエジプトにおいて神の審きを過ぎ越させた小羊である、とヨハネは語りました。主イエスが十字架の上で御自分を小羊として献げられる、過越の小羊として献げられる。主イエスの十字架が私たちに対する神の審きを過ぎ越させてくださる。主イエスが十字架で献げられる御自分の血と体とに過越の小羊を重ねられたのです。だから、主イエスはどうしても十二人の弟子たちと一緒に過越の食事を摂りたい、と願われたのです。

 主イエスは過越の食事を弟子たちとともに摂られて、十字架に磔られてしまわれました。十二人の弟子たちにとって主イエスとの最後の晩餐となりました。この食事が後の教会の食事、聖餐になりました。礼拝において主イエスが語ってくださった言葉が語られます。聖餐が主イエスの十字架の死と復活による救いを明らかにします。説教は耳で聴く言葉、聖餐は眼に見える主イエスの十字架の死と復活による救いのしるしです。宗教改革者カルヴァンは「私たちの信仰の弱さを聖礼典が支える」、と語りました。耳で聴く神の言葉と口で味わう神の言葉によって、私たちが主イエスの十字架の死と復活のおかげで神の審き、罪の滅びから救い出され、神の子どもとして生かされていることを深く知ることができるのです。

――――― 2020年10月11日 主日礼拝式予告 ――――
前  奏  (黙祷)                    
礼拝招詞  詩編105:1〜4
讃 美 歌  132(歌詞を黙読) 
十  戒  (小声で)
主の祈り  (小声で)
聖書朗読  出エジプト記12:1〜20(P.111)
      ルカによる福音書22:14〜23(P.153)
祈  祷                          
信仰告白  使徒信条(小声で)
説  教 『深い痛みを越えた喜び』馬場康夫牧師
祈  祷        
讃 美 歌  203(歌詞を黙読)
献  金  
祝  福
後  奏 
聖書:しかし、見よ、わたしを裏切る者が、わたしと一緒に手を食
   卓に置いている。
       ルカによる福音書22:21